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当整骨院の歴史

院長祖父の創業

現院長の祖父が、1946年に立花5丁目に「渡部指圧」を開業しました。

それまでは、松山市役所の「公衆衛生課」に勤務していましたが、仕事中に重量物を持ち上げ酷い腰痛になり、色々、治療をしても、治らず、たまたま、東京から、整体の先生が道後に出張施術に「来松」し、その事を広告で知り、道後の旅館に先生を訪ねて、わずか2回の施術で辛かった腰痛が治りました

感激した祖父は、20年間勤め課長にまで昇進した「公衆衛生課」を辞し、整体の先生に弟子入りし、腰痛で困った人の為に「整体」を身に付けて「人の助け」をようと志しました。

2代目による整体院の発展

そして院長の父である長男の渡部博文や、次男の養子に行った山本貞夫、そして三男の渡部久司を東京の「長生学園」に送り込みました。
四男の渡部仁「渡部接骨整体療院」の叔父は大阪の「明治東洋医学院」を卒業しました。
ちなみに 三代目院長の私は叔父と同じ専門学校に進みました。

残念ながら祖父を含め叔父四人共に全員が鬼籍に入り、
四男の叔父 渡部仁は令和元年12月に療養虚しく旅立ちました。
幼い頃より、兄弟同然に育ち沢山遊んで貰い良く釣りにも連れて行ってくれました。

また渡部家の長男である渡部博文は私が小学生三年生の時に不慮の事故で亡くなり、祖父の引退後に叔父が「渡部指圧」を守ってくれました。

現在

その後、現院長である私が昭和50年に卒業しました。
それまでに叔父に学生の2年間の間に整体の技術を教えて貰いました。

その後一年間、引退した祖父に、整体の精神や「秘伝の技術」を深く学び、
新たに「渡部整体療院」と名前を変え開業しました。

その後「東洋整骨院」となり立花から道後に施術所を移転しました。

東洋整骨院はソフト矯正が中心