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当整骨院の創業秘話
【創業の原点】祖父の腰痛克服と「人助け」の志
当院の哲学である「**整体は人助け**」は、祖父の苦しい経験と感激から始まりました。
祖父が公務員を辞めて整体師になった理由
- 当時、松山市役所の公衆衛生課長として働いていた祖父は、何をしても治らない**ひどい腰痛**に苦しんでいました。
- そんな中、道後に滞在していた指圧の大家「柴田純宏師」(長生派)のチラシを見て施術を依頼。
- 長年の腰痛が劇的に治癒したことに感激し、**「自分の様に困っている人を助けよう」**と強く志しました。
- 当時40代で課長職でしたが、家族に相談せず退職。**柴田純宏先生に弟子入り**し、2年間修行の後に「指圧師」(国家資格)となりました。
これが、**ポキポキ矯正のルーツ**である長生医学の技術が渡部家に伝わった経緯です。
四代に継がれた技術と地域への貢献**
祖父は息子4人(長男、次男、三男、四男/渡部仁叔父)にこの技術を継がせるため、東京や大阪の専門学校に送り込みました。
- 当院は祖父が**1948年**に「渡部指圧」として開業したのが始まりです。(創業年を1946年と記載しているのは、公衆衛生課退職後にすぐに活動を開始したためです。)
- 現院長である私は叔父と同じ明治東洋医学院を卒業し、祖父と叔父から**秘伝の技術**を受け継ぎました。
- 病院名は「渡部指圧」から「渡部整体療院」「東洋整体研究所」と改名し、2010年9月に現在地へ移転し**「東洋整骨院」**となりました。
院長になってから46年余り、延べ**16万人以上**の方を施術。祖父が始めた「人助けの整体」の精神は、変わらず受け継がれています。
地域とスポーツ界への貢献エピソード**
祖父は当時、非常に高額だった電話(松山市で436番目)を銀行から借り入れて導入し、スクーターで愛媛県内のどこへでも**出張施術**に行きました。
また、**1971年**に松山で行われたWBCフェザー級世界タイトルマッチの際、**世界チャンピョンの柴田国明選手**の治療を担当した際の貴重な写真も残っています(残念ながら柴田選手は判定負けでした)。

1971年、世界王者・柴田国明氏を世界タイトル戦前に施術したときの様子
これからの希望
祖父、父、そして現院長が守り受け継いだ**70年間の技術**と「信用」は、次は四代目になる息子に継がれます。
松山市で一番古い歴史を持つ、老舗の「本物の整体店」として、これからも**ポキポキ矯正による根本治療**を信条に、困っている人達のお手伝いをしていきます。

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